1918(大正7)年 | 創設者・ジョージ・デンプセイ(スコットランド出身の宣教師)は日本伝道隊(総理・バックストン)の招聘により講師として来日。帰国後、グラスゴー市に本部を置き、日本の娼妓を救済するジャパン・レスキュー・ミッションを創設 |
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1920(大正9)年 | 東京の淀橋柏木に婦人ホームを開設、数名の婦人を保護、ジャパン・レスキュー・ミッションとして最初の事業を開始 |
1923(大正12)年 | 婦人ホームは関東大震災で甚大な被害を受け、仙台市に移転、基督教育児院構内で事業を継続、翌年に、土地の一部を譲り受け、日本救愛館を開設 |
1927(昭和2)年 | 大阪婦人ホームと連携し、大阪市北区中之島に更生しようとする娼妓の窓口となる救済相談所を開設 |
1931(昭和6)年 | 財団法人として認可される |
1932(昭和7)年 | 大阪府泉北郡東百舌鳥村土塔(現在地)に約3500坪の土地を入手、11棟を建設し大阪・慈愛館を開設。仙台の救愛館を閉鎖・吸収(1936年) |
1939(昭和14)年 | デンプセイ・日本聖公会執事、翌年司祭に、また、木川田正毅も同年に執事・1941年に司祭になる。慈愛館内礼拝堂は日本聖公会聖ルカ教会となる。 |
1940(昭和15)年 | 日独伊三国同盟条約調印 |
1941(昭和16)年 | デンプセイ夫妻をはじめ21人の宣教師は帰国、婦人事業は、大阪婦人ホーム分館、(大阪府三島郡安威村)で継承 |